大阪人は世界に通用する日本人。
海外から大阪を見たとき、大阪にはもっと可能性があると感じて海外生活を送ってきました。
生まれ育ててもらった大阪に恩返しをするために、まずは大阪の経済をさらに活性化させ大阪の力を世界に発信してまいります。
ひとりでも多くの人からのご意見をお聞きして、視点を変える、政治を変える。と言う視点から、地域の人々の命を守り、誰もが「安心して暮らせる街づくり」を目指します。
渕上浩美 ふちかみ ひろみ
小さい頃は喘息がひどかったので小学校2年生からマリバトンスクールにてバトンを習いだす。気づけば選手コースに入り、バトンの練習に明け暮れる日々を送る。
アメリカでのバトンの大会に出場したことがきっかけでバトンだけでなく英語を勉強したいという気持ちが強くなっていく。
聖母女学院短期大学卒業後、外交官か国連職員か政治家になりたいという夢を抱き、アメリカのジョージ・ワシントン大学に進み国際関係を学ぶ。
国際政治の授業でディスカッションの時、「日本はお金だけ出すだけで結局何もしない」と言われ、外交官、国連職員ではなく国の政治や外交を担う政治家を目指すようになる。
政治家を目指すため、河野太郎衆議院議員の国会事務所に秘書として3年間勤務する。
世界の情勢を知るため、約1年間、中東レバノンに拠点を移しアラビア語(初級)を学びながら現地で旅行会社のお手伝いをする。
レバノンから帰国後、民間企業で貿易部門を立ち上げ貿易のノウハウを学ぶ。その後、金融を学ぶため、ファンド組成やマーケティングに携わりながら、法政大学大学院政治学科においてカンボジアの地雷問題を研究し、修士号を取得。パネリストとして国際開発学会に参加する。
2011年に起こった東日本大震災がきっかけとなり、自分が求められているのは金融業ではなくカンボジアでの地雷除去活動ではないかとの考えからカンボジアに拠点を移しJMASカンボジア事務所で勤務する。
日本政府が実施する地雷対策支援としてカンボジアで地雷除去活動に携わり、最終的には現地事業統括責任者として指揮を任される。
JMAS退職後、カンボジアにて国際協力機構(JICA)で企画調査員として日本の中小企業海外展開支援や地雷対策支援に携わる。
約7年のカンボジア生活を終え、2018年10月末に帰国。現在は自民党東住吉区市政対策委員長として活動中。
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衆議院議員 菅義偉
(第26代 自由民主党総裁、第99代 内閣総理大臣)
衆議院議員 河野太郎
(デジタル大臣、内閣特命担当大臣、国家公務員制度担当大臣)
右)前衆議院議員 左藤章、
左)加藤よし子前大阪市会議員
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